文化財紹介

【市指定:史跡】海軍特攻艇格納秘匿壕~かいぐんとっこうていかくのうひとくごう~

海軍特攻艇格納秘匿壕

狩俣の南西海岸丘陵地に所在する。本壕と脇豪合わせて、総延長約300mの規模で、5ヶ所の出入口を有する海軍313設営部隊により築造された。1945(昭和20)年3月1日から終戦まで第41震洋特別攻撃八木部隊の特攻艇の格納秘匿壕として使用された。八木部隊の隊員は狩俣の基地で出撃を待ったが、連合軍の宮古上[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】保良元島遺跡~ぼらもとじまいせき~

保良元島遺跡

当遺跡は、東平安名崎の根本近く、標高50~60mの台地に形成された14~15世紀頃の集落遺跡である。1965年H・メリヒャール氏と金子エリカ女史によって、その一部が発掘調査され、宮古産の土器の他・宋・元・明時代初期の中国製陶磁器片が出土している。元史「温州府志―オンシュウフシ―」によれば「婆羅公管下[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】鏡原馬場跡~かがみはらばばあと~

鏡原馬場跡

鏡原小学校の東南約1km旧城辺(ぐすくべ)街道の北沿いに位置する。この馬場は物納税として宮古・八重山島民を苦しめた「人頭税」の廃止と深い因縁を持つところとして伝えられている。 1887(明治20)年ごろから、宮古農民の間に「島政改革・人頭税廃止」を要求する農民運動が展開された。人頭税撤廃運動は旧支配[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】大川~うぶかー~

大川

掘削年代は明らかでないが、「雍正旧記」(1727年)に「大川掘年数不相知歴代二成及大破候、康熈五拾六丁酉年修補牛馬之用水所」と記述されており、1717(康熈56)年に補修工事がなされていることから、18世紀初頭にはすでに大川が存在していたことがうかがわれる。 当時の人々の暮らしにとって、牛馬は重要な[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】野城泉~ぬぐすくがー~

野城泉

福北集落の東北の海岸に沿って東西に延びる琉球石灰岩丘陵(標高約65m)に野城遺跡がある。その南西部にある野城泉は、石灰岩台地(標高50~67m)裾野に湧水口の周辺を切り石積み技法によって築造された“降(うがー)り井”の形態をもつ自然湧水で、現在も水量は豊富である。 野城泉は、野城遺跡に関わりがあると[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】盛加がー~むいかがー~

盛加がー

水道の発達しないころ、人びとの生活用水は天水と各所に散在するうりがー(洞井)であった。集落はうりがーを中心に形成、発達してきており、宮古の歴史はうりがーを切りはなして考えることはできない。盛加がー内には小規模ながら貝塚層もあり、周辺一帯からは多くの青磁片・土器片等が表面採取でき、大きな集落跡を物語っ[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】漲水御嶽と石垣~はりみずうたきといしがき~

漲水御嶽と石垣

宮古島創世の神話ならびに人蛇婚説話等にいろどられ、古代宮古人の源流をさぐる上からも貴重な御嶽である。南側石垣は目黒盛の玄孫・仲宗根豊見親(忠導氏祖)が1500年中山王府の先導で、八重山のオヤケ赤蜂征討にさいし、神霊の加護で勝利したら神域を整備、奉納しようと誓願、めでたくがい旋した戦勝記念に築いたと忠[...] 続きを読む ⇒

【市指定:天然記念物・地質】ツヅピスキアブ

ツヅピスキアブ

平良字下里大原地区の丘陵地にあって、「ツヅキピスキアブ」「ツヅヒキホラ」とも呼ばれ、市内では最大規模の洞穴である。その特徴としては、 ①洞穴北端の陥没開口から南端開口部にかけて長さ約85mの貫通型の広い横穴である。 ②洞穴北端前方にはドリーネ(陥没地)が発達し、オオクサボク・クワズイモ等の環境指標植[...] 続きを読む ⇒

【市指定:天然記念物・地質】シマジリクジラ化石

シマジリクジラ化石

1973年8月25日から始まった沖縄第四紀調査団による宮古島調査のなかで、同28日、島尻海食台の波うちぎわで発見され、翌29日までの2日間にわたる中学教師と調査団によって掘りだされ寄託されたものである。化石は、およそ2分の1大の頭蓋骨で海性背椎動物のクジラ化石としては保存度がよく、次の特徴をそなえて[...] 続きを読む ⇒

【市指定:天然記念物・地質】島尻断層崖と海食台~しまじりだんそうがいとかいしょくだい~

島尻断層崖と海食台

美しい珊瑚礁の海にかこまれた宮古島は、地形(カルスト)及び地質面において、特徴ある自然環境をもっている。なかでも島尻断層崖は高さ5.25m、長さ400m以上にわたって第三紀層が露出し断層線・褶曲線・地下水等が発達している。1973年夏、鯨(頭部)や鮫(歯)の化石が発見され、潮間帯に広がる海食台ととも[...] 続きを読む ⇒