【市指定:史跡】漲水御嶽と石垣~はりみずうたきといしがき~
宮古島創世の神話ならびに人蛇婚説話等にいろどられ、古代宮古人の源流をさぐる上からも貴重な御嶽である。南側石垣は目黒盛の玄孫・仲宗根豊見親(忠導氏祖)が1500年中山王府の先導で、八重山のオヤケ赤蜂征討にさいし、神霊の加護で勝利したら神域を整備、奉納しようと誓願、めでたくがい旋した戦勝記念に築いたと忠導氏本宗家譜にでている。
オヤケ赤蜂征討は賛否分かれるところであるが、石垣そのものは直接には民衆の労働の成果であり、当時の石造技術を知るうえでも貴重である。
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