【国指定:史跡】先島諸島火番盛「遠見番所」狩俣遠見~さきしましょとうひばんむい「とうみばんしょ」かりまたとうみ~


狩俣遠見

宮古島市5ヵ所( 池間・狩俣・島尻・来間・砂川)
江戸時代、鎖国体制下の1644(順治元)年に、薩摩藩支配の琉球王府によって設置された、海上交通の監視・通報(烽火:のろし)機能をになった遠見番所跡群。先島諸島は琉球列島の最西端に位置し、東シナ海の緊張に直面しており、対外関係と鎖国体制の完成を示す遺跡として重要である。

狩俣集落後方の丘の上にあって、方位を刻した円柱形のピャイイス(方位石)が設置されている。狩俣では明治の末頃まで「遠見番屋」(壁・石積・屋根瓦・約3 坪)が遺されていた。この遠見は主として沖縄本島を往還する上国船、漂流船の発見・監視など、広く海上警備の役割を果たしていた。伝承によると、この遠見には遠見番が日夜、交替で海上の監視にあたり、船影を発見すると、すぐさまブンミャー(村番所)の役人に連絡をとったという。ブンミャーにはソーカツ(総聞)、ユーサズ等の役人が詰めていて、船影発見の連絡を受けると急ぎ、集落の農民をピャーツカイ(伝令)として蔵元へ走らせたと言われている。



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