Tag ‘ミャーカ’

【市指定:建造物】久松ミャーカ(巨石墓)群~ひさまつみゃーか(きょせきばか)ぐん~

久松ミャーカ(巨石墓)群

みゃーかは、久貝、松原両字にまたがって、かつては多数あったと推定されるが、現在確認できるのは4基である。みゃーかについて久松では古くから“ぶさぎ”とよびならわしている。稲村賢敷(いなむらけんぷ)・金子エリカ両氏の研究報告があり、創建は14~16世紀ごろと推定される。 稲村説「宮古在来の風葬墓地(ふう[…] 続きを読む ⇒

【県指定:史跡】スムリャーミャーカ

スムリャーミャーカ

来間集落の南約800mにあるスムリャー(長間家)一族のミャーカ(巨石墓)で、古くは来間大殿ミャーカ、近代にはグンソーミャーカとも呼ばれ、大正時代まで使用されていたという。東西約9m・南北約6.5mの長方形で、高さは2.5mある。上は、3.5m×3mの大きさの板状の石でおおわれている。柱となっている石[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】スサビミャーカ:巨石墓~すさびみゃーか:きょせきばか~

スサビミャーカ(巨石墓)

字伊良部の東方約340mの所にあり、1600年頃建造されたと推定され、現存する伊良部地区のミャーカの中では、規模が最も大きく、石工技術も優れている。外囲いの石積みは二重になっている。外側は東西10.8m・南北7.2m・高さは1.8mで、畳大の巨石を積み上げている。 内囲いの石積みと二つの壁は、厚さ2[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】与那覇支石墓~よなはしせきぼ~

与那覇支石墓

1365年頃平良の漲水の浜辺で、目黒盛との戦いに敗れて与那覇に逃亡した与那覇原一族の共同墓地といわれている。中型のミャーカで斧やのみによる石工の跡はあるが技術的には来間島のスムリャーミャーカに劣っている。構造は高さ1.25m、横2.7m、奥行2mで、中は空洞になっている。築造年代は不明。 ≫Gool[…] 続きを読む ⇒