Tag ‘宮古島’

【市指定:史跡】ドイツ商船遭難之碑~どいつしょうせんそうなんのひ~

ドイツ商船遭難之碑

1873(明治6)年ドイツ商船ロベルトソン号が福州からオーストラリア向け出航したが、台風にあい宮国の沖合の大干瀬に座礁し難破した。宮国の人々は荒れ狂う激浪の中に、危険をおかして救助し、34日間親切ていねいに手厚くもてなし、帰国させた。ドイツ政府は宮国の人々の救助に感激し皇帝ウイルヘルムⅠ世は、187[…] 続きを読む ⇒

【市指定:天然記念物・植物】雨乞座のデイゴ~あまごいざのでいご~

雨乞座のデイゴ

デイゴはマメ科に属する落葉高木で、熱帯植物である。インドから太平洋諸島に分布するが、台湾や琉球列島では植裁されたものが野生になったり、屋敷林・鑑賞木・庭木等として至る所で見られる。落葉後、若夏の頃になると新葉に先立って、真紅の美しい花を咲かせる。花は南国沖縄の初夏を飾り南より北へと順をおって咲いてゆ[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】アマ井~あまがー~

アマ井

「雍正旧記」に”あま井”洞井であって掘年数不明″と記されている。東のアナ井とともに、宮国住民の貴重な水資源となっていた。1956 年から1962年頃まで、ポンプを使用して旧上野村内に簡易水道として給水し村民生活向上に大きな役割をはたしていた。 ※雍正旧記に記されている宮国村の川は「側草川・但洞川・掘[…] 続きを読む ⇒

【市指定:有形民俗】ヤーマス御願~やーますうがん~

ヤーマス御願

ヤーマス御願は来間の年中行事で、毎年9月申午の日日に行われる。期間中、全島民挙て参加する大行事で、その由来については次のような伝説がある。 夜な夜な怪物が現われて島人をさらっていく。この話を聞いた与那覇の三人の兄弟は、来間島に渡り、島の人から実状を聞き怪物(大男)を退治し島民を救ってやらねばならぬと[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】アナ井~あながー~

アナ井

「雍正旧記」(1727年)に東川洞川だが掘削年数は不明″とある。宮国村の番所跡の東に位置しているので当時は役人たちによって「東井」と呼ばれていたらしい。水道が普及するまでは、宮国住民の生活を支える貴重な水資源であった。 夜も昼も、ひっきりなしに人が集まり、水くみ、洗濯、水浴などでにぎわっていた。 ≫[…] 続きを読む ⇒

【市指定:無形民俗】川満の棒踊り~かわみつのぼうおどり~

川満の棒踊り

川満に伝わる厄払いの踊りで島言葉では「ぼう・っふ」と呼んでいる。 伝えによる踊りの由来は、1686年頃、川満村に「プーキ」(疫病)が大きく流行し、村人達が次から次へと死んでいった。そのため各家庭では悲しみに明け暮れる毎日が続いていた。これを憂いた村の役人達が神に伺いを立ると、その結果、「全すべて部の[…] 続きを読む ⇒

【市指定:有形民族】赤名宮~あかなぐう~

赤名宮

赤名宮の祭神はうえか主と称し、公事・官職栄達の道を司り、成就隆盛隆昌の途を拓き給う霊感あらたかな神様である。子方母天太神が生んだ12方の神々は、池間島の大主御嶽(大主うらせりくためなうの真主)・下地の赤崎御嶽(大世の主)・平良の阿津真間御嶽(蒲戸金主)・西里添の美真瑠御嶽(美真瑠主)・そして赤名宮([…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】好善ミガガマ御嶽~こうじんみががまうたき~

好善ミガガマ御嶽

「宮古島記事仕次」に「久場嘉按司の女子普門好善が事」と題する記事がある。琉球人玉城はくばか接司のひとりむすめ普問好善に思いを寄せ、やがて男の子を儲けた。玉城は八重山からもどり、好善が夜泣きする子に、「流浪人の子、なぜ泣くのか、早くトルミ、トルミ」というのを聞いた。玉城は「私はおやけ(商人)だ。流浪人[…] 続きを読む ⇒

【市指定:有形民俗】真屋御嶽~まやうたき~

真屋御嶽

宮古上布の創製者稲石とその夫下地親雲上真栄(通称もてあがーら)が祀られている。真栄は宮古の主長仲宗根豊見親の与那国鬼虎征伐に従軍した、もてあにぎゃもりの子孫と伝えられている。 洲鎌村与人として上国の時、逆風にあい明国に漂着した。たまたま明国に来ていた琉球王朝の進貢船で琉球に帰るとき、またも逆風に襲わ[…] 続きを読む ⇒

【市指定:有形民族】ツヌジ御嶽~つぬじうたき~

ツヌジ御嶽

大世の主をまつる赤崎御嶽の遙拝所(仲取り)で、毎年旧暦6月、8月、10月の甲きのえ午うまの日に例祭が行われ、また旧暦11月には御願が行われる。 御嶽の由来によると、昔、赤崎御嶽の祭日に出かけたが、途中大雨にあい、途方に暮れて大岩のかげに雨宿りし晴れるのを待った。雨はなかなかやまず赤崎御嶽まで行けない[…] 続きを読む ⇒