Tag ‘東仲宗根’

【市指定:史跡】仲屋金盛ミャーカ~なかやかなもりみゃーか~

仲屋金盛ミャーカ

「仲屋金盛ミャーカ」は、忠導氏仲宗根家の東方、外間御嶽の北方にあって、忠導氏一門では、仲屋金盛の墓と言い伝えている。墓の規模や形態は、大半が土砂に埋もれて明らかでないが、石棺の蓋と思われる縦210cm、横120cm、厚さ22cmの巨石が露出している。仲屋金盛は、16世紀初頭に宮古島の主長であった仲宗[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】盛加がー~むいかがー~

盛加がー

水道の発達しないころ、人びとの生活用水は天水と各所に散在するうりがー(洞井)であった。集落はうりがーを中心に形成、発達してきており、宮古の歴史はうりがーを切りはなして考えることはできない。盛加がー内には小規模ながら貝塚層もあり、周辺一帯からは多くの青磁片・土器片等が表面採取でき、大きな集落跡を物語っ[…] 続きを読む ⇒

【市指定:天然記念物・植物】飛鳥御嶽の植物群落~とびとりうたきのしょくぶつぐんらく~

飛鳥御嶽の植物群落

隆起さんご礁における植生として、他地域の森林階層構造との比較並びにその遷移段階を観察するのに貴重な自然教材園である。さらに野鳥の生息(産卵)地、周辺畑地の防風林としてはもとより、聖地として古くから地域の人々によって大事にされている。 18世紀中葉に編集された「宮古島記事仕次」によるとおよそ数世紀以前[…] 続きを読む ⇒

【市指定:歴史資料】忠導氏仲宗根家関係資料~ちゅうどううじなかそねけかんけいしりょう~

忠導氏仲宗根家関係資料

仲宗根豊見親を祖とする忠導氏は、旧藩時代には白川氏とともに宮古を二分するほどに勢力をふるった旧家である。仲宗根豊見親は与那覇原との戦いに勝って宮古を統一した目黒盛豊見親の玄孫で、白川氏三代目大立大殿にかわって、宮古主長になった人物だと伝えられている。 「球陽」によれば、1500年、仲宗根豊見親は八重[…] 続きを読む ⇒

【国登録:有形文化財】大野越排水溝~おおのごしはいすいこう~

大野越排水溝

宮古島市の大野山林に位置し、1934(昭和9)年に建設された隧道である。この地域は低湿地の広がる土地であったため、水はけが悪く、常に湿潤な土地であった。国は、農業上の土地の利用増進を図る目的で、大野山耕地整理計画を策定し、その事業のひとつとして、大野越排水溝が建設された。構造は、アーチ型の鉄筋コンク[…] 続きを読む ⇒