Tag ‘西仲宗根’
【市指定:史跡】下地仁屋利社の墓碑~しもじみーやりしゃのぼひ~
1879(明治12)年、廃藩置県当時、旧藩吏を中心としたはげしい反対のなかで、政府に協力した下地仁屋利社は、群衆に殺された。遺体は腰原嶺のアブに捨てられたが、警視派出所員の手によって、那覇の護国寺に葬られたという。世にいうサンシー事件であるが、利社が新時代にいち早く賛成したことでサンシー事件とよばれ[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】大川~うぶかー~
掘削年代は明らかでないが、「雍正旧記」(1727年)に「大川掘年数不相知歴代二成及大破候、康熈五拾六丁酉年修補牛馬之用水所」と記述されており、1717(康熈56)年に補修工事がなされていることから、18世紀初頭にはすでに大川が存在していたことがうかがわれる。 当時の人々の暮らしにとって、牛馬は重要な[…] 続きを読む ⇒
【市指定:典籍】恩河里之子親雲上の墓碑~おんがわさとぬしぺーちんのぼひ~
旧藩末期に建造されたもので、現存する墓碑では比較的古いものである。砂岩(高さ62cm、横33cm、幅上部5~14cm、下方17cm)を材料として使用している。 碑には右肩より「支流長真氏恩河仁也、乾隆年間卒。向姓恩河里之子親雲上墓・同治十一年壬申在番同氏花城親雲上記」の文字が刻み込まれており、下方に[…] 続きを読む ⇒
【県指定:史跡】仲宗根豊見親の墓~なかそねとぅゆみゃのはか~
15世紀末から16世紀初にかけて、宮古の支配者として君臨した仲宗根豊見親が、父・真誉の子(まゆのふぁ)豊見親の霊をとむらうために、築造したと伝えられている。宮古在来の“みゃーか”と沖縄本島風の横穴式の折衷様式で、沖縄本島と宮古のしげき文化の交流を裏づける代表的な墳墓である。 ≫Gooleマップで見る[…] 続きを読む ⇒