Tag ‘雍正旧記’

【市指定:史跡】アマ井~あまがー~

アマ井

「雍正旧記」に”あま井”洞井であって掘年数不明″と記されている。東のアナ井とともに、宮国住民の貴重な水資源となっていた。1956 年から1962年頃まで、ポンプを使用して旧上野村内に簡易水道として給水し村民生活向上に大きな役割をはたしていた。 ※雍正旧記に記されている宮国村の川は「側草川・但洞川・掘[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】アナ井~あながー~

アナ井

「雍正旧記」(1727年)に東川洞川だが掘削年数は不明″とある。宮国村の番所跡の東に位置しているので当時は役人たちによって「東井」と呼ばれていたらしい。水道が普及するまでは、宮国住民の生活を支える貴重な水資源であった。 夜も昼も、ひっきりなしに人が集まり、水くみ、洗濯、水浴などでにぎわっていた。 ≫[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】大嶽城跡~うぷたきじょうせき~

大嶽城跡

14世紀の中頃、宮古島に猛威をふるった与那覇原にほろぼされた大嶽按司の居城の跡である。城跡公園内の東側にある御嶽が、大御嶽(ウプウタキ)で、祭神はピギタリユーヌヌスである。ピギタリは、按司の長男で戦乱の世相を嘆いて農業に励んだ。与那覇原との戦いで二男知呂の按司は、東の門(中御嶽)を守って戦死し、三男[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】金志川泉~きんすうきゃーがー~

金志川泉

金志川泉は、金志川豊見親の屋敷跡より150mほど西側にある洞泉である。水壺は広くほぼ円形で水深は1mほどである。開口部から水壺までおよそ30段の階段が設けられている。「雍正旧記」(1727年)には「金志川・但洞川・堀年数不相知」とある。また、「宮古・八重山両島絵図帳」(1647年)には、おろか間切([…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】大川~うぶかー~

大川

掘削年代は明らかでないが、「雍正旧記」(1727年)に「大川掘年数不相知歴代二成及大破候、康熈五拾六丁酉年修補牛馬之用水所」と記述されており、1717(康熈56)年に補修工事がなされていることから、18世紀初頭にはすでに大川が存在していたことがうかがわれる。 当時の人々の暮らしにとって、牛馬は重要な[…] 続きを読む ⇒

【市指定:天然記念物・植物】飛鳥御嶽の植物群落~とびとりうたきのしょくぶつぐんらく~

飛鳥御嶽の植物群落

隆起さんご礁における植生として、他地域の森林階層構造との比較並びにその遷移段階を観察するのに貴重な自然教材園である。さらに野鳥の生息(産卵)地、周辺畑地の防風林としてはもとより、聖地として古くから地域の人々によって大事にされている。 18世紀中葉に編集された「宮古島記事仕次」によるとおよそ数世紀以前[…] 続きを読む ⇒

【市指定:有形民俗】山川ウプカー~やまがーうぷかー~

山川ウプカー

山川集落から北へ500m程の所にある湧泉である。「雍正旧記」(1727年)に「山川但洞川。堀年数不相知」と記され、間切時代から知られている湧泉である。ウプカーの水源は近在の住民の飲料水源として上水道の全面普及(1965年)まで重要な役割りを担ってきた。ウプカーの水は下の海浜に流れ肥沃な土地を形成して[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】クバカ城跡~くばかじょうせき~

クバカ城跡

クバカ城跡は入江部落の西側入口にある。久場嘉按司の居城の跡で「雍正旧記」(1727年)には、「長さ31間(56.4m)横25間(45.5m)」、門は未方(南西)に向かうとある。その由来は城主クバカ按司は強力無双の人であったと伝えられている。 また、「宮古島記事」(1752年)には、「宮古島洲鎌村小ば[…] 続きを読む ⇒

【国指定:史跡】大和井~やまとがー~

大和井

大和井(やまとがー・井戸)は平良市街の東北に位置する泉(洞井)である。「雍正旧記(ようせいきゅうき)」(1727年)に記されている内容から、1720年ごろに掘られたと考えられている。井戸の周りは大小の切り石を円形に積み上げてあり、上り下りの通路には石段が設けられている。 伝承によれば、首里王府派遣の[…] 続きを読む ⇒