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【市指定:天然記念物・植物】雨乞座のデイゴ~あまごいざのでいご~

雨乞座のデイゴ

デイゴはマメ科に属する落葉高木で、熱帯植物である。インドから太平洋諸島に分布するが、台湾や琉球列島では植裁されたものが野生になったり、屋敷林・鑑賞木・庭木等として至る所で見られる。落葉後、若夏の頃になると新葉に先立って、真紅の美しい花を咲かせる。花は南国沖縄の初夏を飾り南より北へと順をおって咲いてゆ[…] 続きを読む ⇒

【市指定:有形民俗】ヤーマス御願~やーますうがん~

ヤーマス御願

ヤーマス御願は来間の年中行事で、毎年9月申午の日日に行われる。期間中、全島民挙て参加する大行事で、その由来については次のような伝説がある。 夜な夜な怪物が現われて島人をさらっていく。この話を聞いた与那覇の三人の兄弟は、来間島に渡り、島の人から実状を聞き怪物(大男)を退治し島民を救ってやらねばならぬと[…] 続きを読む ⇒

【市指定:無形民俗】川満の棒踊り~かわみつのぼうおどり~

川満の棒踊り

川満に伝わる厄払いの踊りで島言葉では「ぼう・っふ」と呼んでいる。 伝えによる踊りの由来は、1686年頃、川満村に「プーキ」(疫病)が大きく流行し、村人達が次から次へと死んでいった。そのため各家庭では悲しみに明け暮れる毎日が続いていた。これを憂いた村の役人達が神に伺いを立ると、その結果、「全すべて部の[…] 続きを読む ⇒

【市指定:有形民族】赤名宮~あかなぐう~

赤名宮

赤名宮の祭神はうえか主と称し、公事・官職栄達の道を司り、成就隆盛隆昌の途を拓き給う霊感あらたかな神様である。子方母天太神が生んだ12方の神々は、池間島の大主御嶽(大主うらせりくためなうの真主)・下地の赤崎御嶽(大世の主)・平良の阿津真間御嶽(蒲戸金主)・西里添の美真瑠御嶽(美真瑠主)・そして赤名宮([…] 続きを読む ⇒

【市指定:有形民俗】真屋御嶽~まやうたき~

真屋御嶽

宮古上布の創製者稲石とその夫下地親雲上真栄(通称もてあがーら)が祀られている。真栄は宮古の主長仲宗根豊見親の与那国鬼虎征伐に従軍した、もてあにぎゃもりの子孫と伝えられている。 洲鎌村与人として上国の時、逆風にあい明国に漂着した。たまたま明国に来ていた琉球王朝の進貢船で琉球に帰るとき、またも逆風に襲わ[…] 続きを読む ⇒

【市指定:有形民族】ツヌジ御嶽~つぬじうたき~

ツヌジ御嶽

大世の主をまつる赤崎御嶽の遙拝所(仲取り)で、毎年旧暦6月、8月、10月の甲きのえ午うまの日に例祭が行われ、また旧暦11月には御願が行われる。 御嶽の由来によると、昔、赤崎御嶽の祭日に出かけたが、途中大雨にあい、途方に暮れて大岩のかげに雨宿りし晴れるのを待った。雨はなかなかやまず赤崎御嶽まで行けない[…] 続きを読む ⇒

【市指定:有形民俗】赤崎御嶽~あかざきうたき~

赤崎御嶽

赤崎御嶽の祭神は、大世の主豊見親と唱える。農耕万穀、五穀豊穣を掌る神で子方母天大が生んだ12神の一体といわれている。例祭は毎年3回甲きのえ午うまの日に行われる。赤名宮と共に下地地域の根所として、昔から島の信仰が深い。海に突き出た赤崎には、神井(ぬか井)があり、例祭は下地中学校西側隣の神畑(ぬか地)の[…] 続きを読む ⇒

【市指定:古文書】河充家の系図~かわみつけのけいず~

河充家の系図

河充氏とは、川満大殿を元祖とし名乗り頭に「真」の字をもつ家系である。保管しているのは大殿の子孫、洲鎌部落の松村家である。 系図には初代より12代までの人物の生年月日、役職名、死亡年月日等が記入されており、字体も楷書、草書、正書と種々である。筆跡も異なる部分が見受けられるのは、何代目かが書き残した物を[…] 続きを読む ⇒

【県指定:史跡】スムリャーミャーカ

スムリャーミャーカ

来間集落の南約800mにあるスムリャー(長間家)一族のミャーカ(巨石墓)で、古くは来間大殿ミャーカ、近代にはグンソーミャーカとも呼ばれ、大正時代まで使用されていたという。東西約9m・南北約6.5mの長方形で、高さは2.5mある。上は、3.5m×3mの大きさの板状の石でおおわれている。柱となっている石[…] 続きを読む ⇒

【県指定:史跡】下地町の池田矼~しもじちょうのいけだばし~

下地町の池田矼

崎田川河口近く、国道390号線に沿っている。この矼は、琉球王国時代、平良から久貝・松原・川満を経て、洲鎌・上地・与那覇へ通ずる主要道路の一部であった下地矼道と共に架設されたと伝えられている。「雍正旧記」(1727年)には「池田矼、南北長20間、横3間、高サ9尺5寸村北ノ潟陸原ニあり」と記録されている[…] 続きを読む ⇒