Tag ‘仲宗根豊見親’

【市指定:史跡】四島の主の墓~ゆすまのしゅうのはか~

四島の主の墓

現在、狩俣には「四島の主の墓」といわれている墓が四ヶ所ある。この墓は、そのうちの1つである。この墓は、島尻・大神・狩俣・池間の四邑が遠望できる丘陵上にある。この墓の構造はツガ墓に似ており、周囲には石積みの外郭が二重にめぐらされ、南々西に向かって一枚岩をのせたアーチ門が築かれている。又、墓室は一室で墓[…] 続きを読む ⇒

【市指定:歴史資料】忠導氏仲宗根家関係資料~ちゅうどううじなかそねけかんけいしりょう~

忠導氏仲宗根家関係資料

仲宗根豊見親を祖とする忠導氏は、旧藩時代には白川氏とともに宮古を二分するほどに勢力をふるった旧家である。仲宗根豊見親は与那覇原との戦いに勝って宮古を統一した目黒盛豊見親の玄孫で、白川氏三代目大立大殿にかわって、宮古主長になった人物だと伝えられている。 「球陽」によれば、1500年、仲宗根豊見親は八重[…] 続きを読む ⇒

【県指定:史跡】仲宗根豊見親の墓~なかそねとぅゆみゃのはか~

仲宗根豊見親の墓

15世紀末から16世紀初にかけて、宮古の支配者として君臨した仲宗根豊見親が、父・真誉の子(まゆのふぁ)豊見親の霊をとむらうために、築造したと伝えられている。宮古在来の“みゃーか”と沖縄本島風の横穴式の折衷様式で、沖縄本島と宮古のしげき文化の交流を裏づける代表的な墳墓である。 ≫Gooleマップで見る[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】川満大殿の古墓~かわみつうぶとぅぬのふるばか~

川満大殿の古墓

洲鎌部落東方にある巨石を積んだミャーカがある。川満大殿とその妻が葬られた巨石墓である。1500年.1550年ごろ築造されたといわれる。平民として田舎に生まれた川満大殿が、一躍下地の首長に任ぜられたことは、かつて例のない出世である。大殿は、寅年の人と伝えられているので、1458(天順2)年生まれと推定[…] 続きを読む ⇒

【国指定:建造物】豊見親墓・三基~とぅゆみゃばか・さんき~

あとんま墓

豊見親墓は3つの墓から構成されている。1つは「仲宗根豊見親の墓」で、15世紀末から16世紀初めにかけて宮古の首長を務めた仲宗根豊見親を初めとする忠導氏一門(ちゅうどううじいちもん)が祀(まつ)られている。 2つめは「知利真良豊見親(ちりまらとぅゅみゃ)の墓」で、仲宗根豊見親の三男で宮金氏一門(みやが[…] 続きを読む ⇒