Tag ‘稲村賢敷’

【市指定:史跡】テマカ城跡~てまかじょうせき~

テマカ城跡

城辺字保良の東平安名崎からトユミャが石を投げて一夜のうちに石垣が築かれた、との伝承がある。大正の頃まで高さ6~7尺もある石垣が、存在していたといわれているが戦後の土木工事の材料としてほとんど持ち去られた。中の御嶽の祭神は、ヤマトガムキリウヌスと呼ばれている。久場嘉按司とたびたび合戦したが力及ばず敗死[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】西銘御嶽~にすみうたき~

西銘御嶽

増原集落の西北方およそ1kmほどの丘陵上にあって、北方は要害堅固な断崖で海に面し、さらに西方は白川浜へと通じている。崖下に“サガイ井”、さらに下って海よりに“カナギ井”と俗称する二つの井戸がある。御嶽のまわりに城壁とみなされる石垣の跡をみることもできるが、全体の規模ははっきりしない。 ただし、周辺に[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】盛加がー~むいかがー~

盛加がー

水道の発達しないころ、人びとの生活用水は天水と各所に散在するうりがー(洞井)であった。集落はうりがーを中心に形成、発達してきており、宮古の歴史はうりがーを切りはなして考えることはできない。盛加がー内には小規模ながら貝塚層もあり、周辺一帯からは多くの青磁片・土器片等が表面採取でき、大きな集落跡を物語っ[…] 続きを読む ⇒

【市指定:建造物】久松ミャーカ(巨石墓)群~ひさまつみゃーか(きょせきばか)ぐん~

久松ミャーカ(巨石墓)群

みゃーかは、久貝、松原両字にまたがって、かつては多数あったと推定されるが、現在確認できるのは4基である。みゃーかについて久松では古くから“ぶさぎ”とよびならわしている。稲村賢敷(いなむらけんぷ)・金子エリカ両氏の研究報告があり、創建は14~16世紀ごろと推定される。 稲村説「宮古在来の風葬墓地(ふう[…] 続きを読む ⇒