文化財紹介

【市指定:天然記念物・植物】トマイ御嶽の植物群落~とまいうたきのしょくぶつぐんらく~

トマイ御嶽の植物群落

この植物群落は、与那覇西方海岸にあり北側の林緑は海に接し、シマシラキ群落が縁取っている。海抜ゼロメートルの林床は湾内へ流出する土壌の推積によって肥沃化し、発達した高木林を形成している。群落の特異な景観は宮古島唯一のものである。この群落の構成種は、高木層にモモタマナ・タブノキ・ヤブニッケイ・サキシマス[…] 続きを読む ⇒

【市指定:天然記念物・植物】前山御嶽の植物群落~まえやまうたきのしょくぶつぐんらく~

前山御嶽の植物群落

この植物群落は与那覇集落の南西約500mにあり、一帯は新世代第四紀洪積世の琉球石灰岩からなり、フクギを主とする植物群落である。フクギが植えられたのは300.400年前だと考えられる。 群落内には直径約1mの大木がいくつかあり、ガジュマル・センダンなども見られ草本層は余り発達していない。前山御嶽には古[…] 続きを読む ⇒

【市指定:天然記念物・保護区】来間島断崖の植生~くりまじまだんがいのしょくせい~

来間島断崖の植生

本断層崖は、来間島北海岸にある。崖の稜線は海岸から約100mの巾を持ち、海岸線とほぼ平行に走っている。長さは約3.2km、断層崖が約2.4km海食崖が約850mと連続して伸び、島の半分を取り囲んでいる。 本断層崖は宮古群島を特徴づけるいくつかの断層稜線の一つであり、第四紀洪積世の頃形成されている。地[…] 続きを読む ⇒

【国登録:有形文化財】大野越排水溝~おおのごしはいすいこう~

大野越排水溝

宮古島市の大野山林に位置し、1934(昭和9)年に建設された隧道である。この地域は低湿地の広がる土地であったため、水はけが悪く、常に湿潤な土地であった。国は、農業上の土地の利用増進を図る目的で、大野山耕地整理計画を策定し、その事業のひとつとして、大野越排水溝が建設された。構造は、アーチ型の鉄筋コンク[…] 続きを読む ⇒

【国指定:名勝・天然記念物・地質】下地島の通り池~しもじじまのとおりいけ~

下地島の通り池01

通り池は、2つの池が相接し、天然の橋によって通じている。東北側が直径約55mで水深約25m、南西側が直径約75mで水深は海側が約40mである。直径約10mの海底洞穴で海と通じており、両池は潮の干満で水深が変化する。池の成因は琉球石灰岩が長年の間に海と通ずる鍾乳洞を生じ、その2ヵ所が崩落して天然橋で結[…] 続きを読む ⇒

【国指定:史跡】先島諸島火番盛「遠見番所」来間遠見~さきしましょとうひばんむい「とうみばんしょ」くりまとうみ~

来間遠見

宮古島市5ヵ所(池間・狩俣・島尻・来間・砂川)江戸時代、鎖国体制下の1644(順治元)年に、薩摩藩支配の琉球王府によって設置された、海上交通の監視・通報(烽火(のろし)のろし)機能をになった遠見番所跡群。先島諸島は琉球列島の最西端に位置し、東シナ海の緊張に直面しており、対外関係と鎖国体制の完成を示す[…] 続きを読む ⇒

【国指定:史跡】先島諸島火番盛「遠見番所」砂川遠見~さきしましょとうひばんむい「とうみばんしょ」うるかとうみ~

砂川遠見

宮古島市5ヵ所(池間・狩俣・島尻・来間・砂川)江戸時代、鎖国体制下の1644(順治元)年に、薩摩藩支配の琉球王府によって設置された、海上交通の監視・通報(烽火:のろし)機能をになった遠見番所跡群。先島諸島は琉球列島の最西端に位置し、東シナ海の緊張に直面しており、対外関係と鎖国体制の完成を示す遺跡とし[…] 続きを読む ⇒

【国指定:史跡】先島諸島火番盛「遠見番所」島尻遠見~さきしましょとうひばんむい「とうみばんしょ」しまじりとうみ~

島尻遠見

宮古島市5ヵ所(池間・狩俣・島尻・来間・砂川)江戸時代、鎖国体制下の1644(順治元)年に、薩摩藩支配の琉球王府によって設置された、海上交通の監視・通報(烽火(のろし)のろし)機能をになった遠見番所跡群。先島諸島は琉球列島の最西端に位置し、東シナ海の緊張に直面しており、対外関係と鎖国体制の完成を示す[…] 続きを読む ⇒

【国指定:史跡】先島諸島火番盛「遠見番所」狩俣遠見~さきしましょとうひばんむい「とうみばんしょ」かりまたとうみ~

狩俣遠見

宮古島市5ヵ所( 池間・狩俣・島尻・来間・砂川) 江戸時代、鎖国体制下の1644(順治元)年に、薩摩藩支配の琉球王府によって設置された、海上交通の監視・通報(烽火:のろし)機能をになった遠見番所跡群。先島諸島は琉球列島の最西端に位置し、東シナ海の緊張に直面しており、対外関係と鎖国体制の完成を示す遺跡[…] 続きを読む ⇒

【市指定:古文書・典籍】刀剣及び古文書~とうけんおよびこもんじょ~

刀剣及び古文書

「雍王旧記」(1727年)によると、豊見氏親(うずぬしゅう)の由来について、次の通り記録されている。 昔、伊良部村の主「豊見氏親」という人は、力万人にすぐれ、鬼神もあざむくぼどの勇者であった。その頃、平良と伊良部の海中に大鱶(ふか)が時々現れ、往来の船を転覆させ、命を奪っていたので、平良へ行く人達は[…] 続きを読む ⇒