Tag ‘洲鎌’
【市指定:有形民俗】真屋御嶽~まやうたき~
宮古上布の創製者稲石とその夫下地親雲上真栄(通称もてあがーら)が祀られている。真栄は宮古の主長仲宗根豊見親の与那国鬼虎征伐に従軍した、もてあにぎゃもりの子孫と伝えられている。 洲鎌村与人として上国の時、逆風にあい明国に漂着した。たまたま明国に来ていた琉球王朝の進貢船で琉球に帰るとき、またも逆風に襲わ[…] 続きを読む ⇒
【市指定:有形民族】ツヌジ御嶽~つぬじうたき~
大世の主をまつる赤崎御嶽の遙拝所(仲取り)で、毎年旧暦6月、8月、10月の甲きのえ午うまの日に例祭が行われ、また旧暦11月には御願が行われる。 御嶽の由来によると、昔、赤崎御嶽の祭日に出かけたが、途中大雨にあい、途方に暮れて大岩のかげに雨宿りし晴れるのを待った。雨はなかなかやまず赤崎御嶽まで行けない[…] 続きを読む ⇒
【市指定:古文書】河充家の系図~かわみつけのけいず~
河充氏とは、川満大殿を元祖とし名乗り頭に「真」の字をもつ家系である。保管しているのは大殿の子孫、洲鎌部落の松村家である。 系図には初代より12代までの人物の生年月日、役職名、死亡年月日等が記入されており、字体も楷書、草書、正書と種々である。筆跡も異なる部分が見受けられるのは、何代目かが書き残した物を[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】松村家の井戸の縁石~まつむらけのいどのふちいし~
洲鎌部落の松村家は下地の主、川満大殿の子孫生家である。この宅地内に推定約500年前の物と考えられ、直径120cm、高さ65cm、内巾90cmの丸形のくり抜き縁石がある。この縁石は松村家と盛島家の双方にあるが、盛島家はひとまわり小型である。 川満大殿は1498年にベウツ川堀割工事、1506年池田矼を沖[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】川満大殿の古墓~かわみつうぶとぅぬのふるばか~
洲鎌部落東方にある巨石を積んだミャーカがある。川満大殿とその妻が葬られた巨石墓である。1500年.1550年ごろ築造されたといわれる。平民として田舎に生まれた川満大殿が、一躍下地の首長に任ぜられたことは、かつて例のない出世である。大殿は、寅年の人と伝えられているので、1458(天順2)年生まれと推定[…] 続きを読む ⇒