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【市指定:古文書・典籍】刀剣及び古文書~とうけんおよびこもんじょ~

刀剣及び古文書

「雍王旧記」(1727年)によると、豊見氏親(うずぬしゅう)の由来について、次の通り記録されている。 昔、伊良部村の主「豊見氏親」という人は、力万人にすぐれ、鬼神もあざむくぼどの勇者であった。その頃、平良と伊良部の海中に大鱶(ふか)が時々現れ、往来の船を転覆させ、命を奪っていたので、平良へ行く人達は[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】アブガーNo.2

アブガーNO2

アブガーNo2は、伊良部島南側の長山の農道78号線の中頃から北に450m程のアブガーNo.1の東側の道路の傍にある。深さは11.5m程で、下部の広さは幅10m、長さ20mで、下部の北東部には階段があり、容易に洞底に降りることができる。床は、ほぼ水平で、階段の下はセメントで整地されており、広間の北西分[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】アブガーNo.1

アブガーNO1

アブガーNo1は、伊良部島南側の長山の農道78号線の中頃から北に400m程のウスバリアブの東側の森の中にあり、地積の上からは、ウスバリアブと同じ地番にある。深さは36m程で、洞口から14mの所に幅1.5m、長さ2m程のテラスがあり、テラスからさらに19m程下の所が最深部になる。洞口は高さ2~3mの岩[…] 続きを読む ⇒

【国指定:名勝】東平安名岬~ひがしへんなざき~

東平安名岬

宮古島の東端に細長く突き出た全長約2km、幅30m・150mの岬で、琉球石灰岩のカルスト地形に固有の海岸性植物群落が展開する独特の自然環境とともに、特有の伝承を持つ美しい景勝地として知られる。周囲絶壁は琉球石灰岩の海食崖に囲まれ、標高約20mの平坦面は海食低位段丘を成し全体として海側に向かって突き出[…] 続きを読む ⇒

【国指定】多良間島の豊年祭~たらまじまのほうねんさい~

多良間島の豊年祭

多良間島の“八月踊り”の起源はさだかではないが、元々「八月御願」あるいは「皆納祝」と呼ばれているところから人頭税制にかかわりのあるものと、推定されている。旧藩時代人頭税に苦しめられた人々は、上納期にあたる旧暦7月の翌月の吉日を選んで八月御願と称して各御嶽をめぐって祭事をおこなった。ここで完納を祝い豊[…] 続きを読む ⇒

【国指定:史跡】先島諸島火番盛「遠見番所」池間遠見~さきしましょとうひばんむい「とうみばんしょ」いけまとうみ~ 

池間遠見

宮古島市5ヵ所(池間・狩俣・島尻・来間・砂川)江戸時代、鎖国体制下の1644(順治元)年に、薩摩藩支配の琉球王府によって設置された、海上交通の監視・通報(烽火:のろし)機能をになった遠見番所跡群。先島諸島は琉球列島の最西端に位置し、東シナ海の緊張に直面しており、対外関係と鎖国体制の完成を示す遺跡とし[…] 続きを読む ⇒

【国指定:史跡】大和井~やまとがー~

大和井

大和井(やまとがー・井戸)は平良市街の東北に位置する泉(洞井)である。「雍正旧記(ようせいきゅうき)」(1727年)に記されている内容から、1720年ごろに掘られたと考えられている。井戸の周りは大小の切り石を円形に積み上げてあり、上り下りの通路には石段が設けられている。 伝承によれば、首里王府派遣の[…] 続きを読む ⇒

【国指定:建造物】豊見親墓・三基~とぅゆみゃばか・さんき~

あとんま墓

豊見親墓は3つの墓から構成されている。1つは「仲宗根豊見親の墓」で、15世紀末から16世紀初めにかけて宮古の首長を務めた仲宗根豊見親を初めとする忠導氏一門(ちゅうどううじいちもん)が祀(まつ)られている。 2つめは「知利真良豊見親(ちりまらとぅゅみゃ)の墓」で、仲宗根豊見親の三男で宮金氏一門(みやが[…] 続きを読む ⇒