史跡と建造物

【市指定:建造物】久松ミャーカ(巨石墓)群~ひさまつみゃーか(きょせきばか)ぐん~

久松ミャーカ(巨石墓)群

みゃーかは、久貝、松原両字にまたがって、かつては多数あったと推定されるが、現在確認できるのは4基である。みゃーかについて久松では古くから“ぶさぎ”とよびならわしている。稲村賢敷(いなむらけんぷ)・金子エリカ両氏の研究報告があり、創建は14~16世紀ごろと推定される。 稲村説「宮古在来の風葬墓地(ふう[...] 続きを読む ⇒

【市指定:建造物】瑞福隧道~ずいふくずいどう~

瑞福隧道

戦前、比嘉下の島(すたのすま)・池原底(いけばるずぅく)・福地原(ふくちばる)・加治道(かじどう)一帯は湿地帯で、大雨のたびに大きな水溜まりとなった。特に池原一帯は湖のように2、3ヶ月も水が溜まり、農作物に甚大な被害を与えた。地勢は海岸地帯が高く排水路による水はけは不可能視されていた。 当時の瑞慶覧[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】ヌドグビアブ

ヌドグビアブ

ヌドクビアブは、カナマラアブから南西方向に1.5km程の森の中にある。深さは22m程で、洞口は2カ所にある。大きな洞口は幅3m、長さ25mで北東側から階段で降りることができ、もう一つの洞口は、天然橋でくぎられ幅3m、長さ7mの大きな井戸状の縦穴になっている。 階段から洞底に降りると、広間になっていて[...] 続きを読む ⇒

【県指定:史跡】スムリャーミャーカ

スムリャーミャーカ

来間集落の南約800mにあるスムリャー(長間家)一族のミャーカ(巨石墓)で、古くは来間大殿ミャーカ、近代にはグンソーミャーカとも呼ばれ、大正時代まで使用されていたという。東西約9m・南北約6.5mの長方形で、高さは2.5mある。上は、3.5m×3mの大きさの板状の石でおおわれている。柱となっている石[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】タウワインミィアブ

タウワインミィアブ

タウワインミィアブは、ピャーズ御嶽(クンマウキャー御嶽)から旧町道105号線(一周道路)へ向かう道路と展望台への三叉路から50m程南、道路脇30m程の所にある。 深さは65mで、底には池が存在し、魚が確認された。 この魚は、目が退化し白色で、数十万年から百数十万年前に閉じ込められたものと推定され、国[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】ウスバリアブ

ウスバリアブ

ウスバリアブは、伊良部島南側の長山の農道78号線の中頃から北に300m程のカナマラアブの斜め向かい(北東側)にある。深さは35m程で、洞口は幅2m、長さ4m程で直下14m程の所に第1着地点があり、大きさは南北に25m、幅10~15mの洞穴になっている。第1着地点から北方向に12mの横穴が発達しており[...] 続きを読む ⇒

【県指定:史跡】下地町の池田矼~しもじちょうのいけだばし~

下地町の池田矼

崎田川河口近く、国道390号線に沿っている。この矼は、琉球王国時代、平良から久貝・松原・川満を経て、洲鎌・上地・与那覇へ通ずる主要道路の一部であった下地矼道と共に架設されたと伝えられている。「雍正旧記」(1727年)には「池田矼、南北長20間、横3間、高サ9尺5寸村北ノ潟陸原ニあり」と記録されている[...] 続きを読む ⇒

【県指定:史跡】野原岳の霊石~のばるだけのたまいし~

野原岳の霊石

野原岳の南側中腹にあるが、元もとは頂上近くの北西側斜面におかれていた。霊石は、琉球石灰岩でつくられており、直経が110cm、高さが135cmの円柱形である。およそ600年ほど前、野原岳一帯を支配していた大嶽按司が、守護神としてこの霊石をつくり、野原岳の頂上付近にたてたと伝承されている。 地元では、こ[...] 続きを読む ⇒

【県指定:史跡】上比屋山遺跡~ういぴゃーやまいせき~

上比屋山遺跡

砂川集落の南、高さ40mの琉球石灰岩丘陵にある14~15世紀の遺跡で、南側の砂川元島遺跡(うるかもとじまいせき)とあわせて広い集落跡を形成している。遺跡内からは、宮古式や八重山式と呼ばれる土器や青磁・沖縄製陶器・南蛮陶器などが見つかっている。特に青磁が多く、その解釈をめぐって「倭寇の根拠地」説・「貿[...] 続きを読む ⇒

【県指定:史跡】高腰城跡~たかうすじょうあと~

高腰城跡

宮古島の東海岸側、比嘉集落北の丘陵(高さ113m)の頂上部分につくられた城跡である。東西約70m、南北約40mの大きさで、自然の石をそのまま積んだ城壁の礎石が残っている。 「雍正旧記」(1727年)や「宮古嶋記事仕次(みやこしまきじしつぎ)」(1748年)等の宮古旧記類には、この城の城主が高腰按司([...] 続きを読む ⇒