史跡と建造物

【市指定:史跡】アラガー

アラガー

アラガーは、字佐和田の西側にあり、佐和田では最も古い井戸で、縦8m、横6m程の敷地内に直径1.8m、深さ4~4.5m円形状に掘られている。昔、この辺一帯は広範囲にわたって雑木林が発達していた。鳩が雑木林にしきりに出入りしているので、この井戸を見つけたと言われ、「鳩の見つけ井戸」とも言われている。この[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】佐和田ユークイ~さわだゆーくい~

佐和田ユークイ

佐和田ユークイは、佐和田線から西に200m、佐和田の集落街から北へ200m程の所にあり、祭神は、大世之主(うふゆぬしゅう)と唱える。大世之主は1457年沖永良部島から伊良部島に渡ってきたと伝わる。元々の佐和田ユークイは白鳥崎にあったようであるが、現在地への移動は1644(順治元)年の烽火の制の後と考[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】乗瀬御嶽~ぬーしうたき~

乗瀬御嶽

伊良部島の南東端、渡口の浜への入口近くの左側にあり、遠見村の首長だった大金主(うぷがにしゅう)の娘「玉メガ」を祀っている。 乗瀬御嶽の祭祀に「カンウリ」というのがあり、これは、琉球の交易時代に伊良部も関わっていたことを立証する内容も含んでいる。また、「玉メガ」が神様にめとられたのが、父大金主が雨乞い[…] 続きを読む ⇒

【県指定:有形民俗】喜佐真御嶽~きさまうたき~

喜佐真御嶽

下地の川満集落から南東に約200mにあって、「御嶽由来記(うたきゆらいき)」(1705年)および「琉球国由来記」(1713年)に記録されている由緒ある御嶽である。祭神を真種子若按司といい、浦島の神であるとされている。拝所は石垣で囲まれ、100㎡余の庭と石段と籠(こも)り家(や)、及びムトゥなどがある[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】ピャーズ御嶽(クンマウキャー)~ぴゃーずうたき~

ピャーズ御嶽(クンマウキャー)

伊良部島の東側牧山にある御嶽で、「雍王旧記」(1727年)によれば、祀られている祭神は あからともがね(赤良友金)で1380年ごろ久米島より兄弟で来島して、高度な農耕文化、鉄の農具を伝えたと言われ、弟は比屋地の神となり兄は八重山おもと嶽の神になったという。 ピャーズの由来は、琉球では昔、神様が座って[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】黒浜御嶽~くろはまうたき~

黒浜御嶽

黒浜御嶽は、伊良部島字佐和田の西北西、佐和田の浜の礁湖に面する所にあり、兄妹産神を祭っている。島の村建ての伝説を持つ御嶽で、兄妹神の最初の子はブフズ(魚)で、二番目の子はアパ(魚)、三番目の子はウナズ(海蛇)だったので、それぞれ海へ放った。悲しんで、神様に相談すると、「夜、ユナの葉を二人の間に置いて[…] 続きを読む ⇒

【県指定:有形民俗】城辺町の友利のあま井~ぐすくべちょうのともりのあまがー~

城辺町の友利のあま井

城辺の字砂川と字友利の境界にあって、友利元島遺跡の西側に隣接する自然洞窟の井泉である。降り口から湧き口までの深さは約20m、自然洞窟井泉の規模としては大きく、水量も豊かである。 1965(昭和40)年に城辺で上水道が普及する以前は、この井泉が飲料水を始め、生活を営む上の貴重な水資源であった。水を汲む[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】スサビミャーカ:巨石墓~すさびみゃーか:きょせきばか~

スサビミャーカ(巨石墓)

字伊良部の東方約340mの所にあり、1600年頃建造されたと推定され、現存する伊良部地区のミャーカの中では、規模が最も大きく、石工技術も優れている。外囲いの石積みは二重になっている。外側は東西10.8m・南北7.2m・高さは1.8mで、畳大の巨石を積み上げている。 内囲いの石積みと二つの壁は、厚さ2[…] 続きを読む ⇒

【市指定・史跡】サバウツガー

サバウツガー

直径1.5m、深さ4.5mの石積みのサバウツガーとその周辺地域、それに、井戸までの階段も含めて指定されている。1966(昭和41)年8月に簡易水道が敷設されるまで、240年以上も佐良浜の人達の生活用水として活用されてきた井戸である。名前の由来は、池間島から見た地形が鮫(サメ)の口に似ていることからサ[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】来間川(泉)~くりまがーいずみ~

来間川(泉)

来間集落北側の断崖絶壁に百段よりなる石段がある。この石段を下る数10メートルの絶壁下からこんこんと湧き出る島唯一の泉こそ、来間住民の生活に密着する命の綱である。何時の頃からか、泉の中に樫の木があり、かつてそれを取り除いたら水が出なくなって大騒ぎをしたという。 ユタに頼んで神に御伺いを立ててもらったら[…] 続きを読む ⇒