文化財紹介

【市指定:史跡】ウスバリアブ

ウスバリアブ

ウスバリアブは、伊良部島南側の長山の農道78号線の中頃から北に300m程のカナマラアブの斜め向かい(北東側)にある。深さは35m程で、洞口は幅2m、長さ4m程で直下14m程の所に第1着地点があり、大きさは南北に25m、幅10~15mの洞穴になっている。第1着地点から北方向に12mの横穴が発達しており[...] 続きを読む ⇒

【県指定:史跡】下地町の池田矼~しもじちょうのいけだばし~

下地町の池田矼

崎田川河口近く、国道390号線に沿っている。この矼は、琉球王国時代、平良から久貝・松原・川満を経て、洲鎌・上地・与那覇へ通ずる主要道路の一部であった下地矼道と共に架設されたと伝えられている。「雍正旧記」(1727年)には「池田矼、南北長20間、横3間、高サ9尺5寸村北ノ潟陸原ニあり」と記録されている[...] 続きを読む ⇒

【県指定:史跡】野原岳の霊石~のばるだけのたまいし~

野原岳の霊石

野原岳の南側中腹にあるが、元もとは頂上近くの北西側斜面におかれていた。霊石は、琉球石灰岩でつくられており、直経が110cm、高さが135cmの円柱形である。およそ600年ほど前、野原岳一帯を支配していた大嶽按司が、守護神としてこの霊石をつくり、野原岳の頂上付近にたてたと伝承されている。 地元では、こ[...] 続きを読む ⇒

【県指定:史跡】上比屋山遺跡~ういぴゃーやまいせき~

上比屋山遺跡

砂川集落の南、高さ40mの琉球石灰岩丘陵にある14~15世紀の遺跡で、南側の砂川元島遺跡(うるかもとじまいせき)とあわせて広い集落跡を形成している。遺跡内からは、宮古式や八重山式と呼ばれる土器や青磁・沖縄製陶器・南蛮陶器などが見つかっている。特に青磁が多く、その解釈をめぐって「倭寇の根拠地」説・「貿[...] 続きを読む ⇒

【県指定:史跡】高腰城跡~たかうすじょうあと~

高腰城跡

宮古島の東海岸側、比嘉集落北の丘陵(高さ113m)の頂上部分につくられた城跡である。東西約70m、南北約40mの大きさで、自然の石をそのまま積んだ城壁の礎石が残っている。 「雍正旧記」(1727年)や「宮古嶋記事仕次(みやこしまきじしつぎ)」(1748年)等の宮古旧記類には、この城の城主が高腰按司([...] 続きを読む ⇒

【県指定:史跡】仲宗根豊見親の墓~なかそねとぅゆみゃのはか~

仲宗根豊見親の墓

15世紀末から16世紀初にかけて、宮古の支配者として君臨した仲宗根豊見親が、父・真誉の子(まゆのふぁ)豊見親の霊をとむらうために、築造したと伝えられている。宮古在来の“みゃーか”と沖縄本島風の横穴式の折衷様式で、沖縄本島と宮古のしげき文化の交流を裏づける代表的な墳墓である。 ≫Gooleマップで見る[...] 続きを読む ⇒

【県指定:史跡】ドイツ皇帝博愛記念碑~どいつこうていはくあいきねんひ~

ドイツ皇帝博愛記念碑

漲水港の近くの市街地に建つ記念碑は、ドイツ皇帝ウイルヘルムⅠ世の命によって1876(明治9)年3月20日に建立、22日除幕式が挙行された。1873(明治6)年7月、宮古島の南海岸・宮国沖合に座礁したドイツ商船ロベルトソン号の乗組員を宮古の人々が助けた。助けられた8人の乗組員たちは、1ヶ月余り看護され[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】カナマラアブ

カナマラアブ

カナマラアブは、伊良部島南側の長山の農道78号線の中頃から北に300m程の所にあり、深さは、54.5mの縦穴で、ほぼ海面と同じ深さになっている。洞口は、幅0.8m、長さ1.8m、直下で35mの所に第1着地点がある。途中20mの所には横穴も発達し、コウモリのすみかになっている。横穴の底は粘土で、西の方[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】ヤマトブー大岩~やまとぶーおおいわ~

ヤマトブー大岩

伊良部島の東側、牧山展望台の下にあるトラパーチンの巨岩をヤマトゥブーギスといい、高さ25m、直径18m、重量3万トン余り、最初に伊良部に人が住み着いた下牧(積上・ツミャギ)の海岸への出入り口の目印であったと思われる。岩は、友利石炭岩が、断層などの地殻変動で地上に露呈したもので、傍の牧山には、昔採石を[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】下地島巨岩~しもじしまきょがん~

下地島巨岩

径59.9m、高さ12.5mの巨石が下地島の西海岸に座しており、重量は、推定で約2万トン、オコスクビジー(大きな帯をした岩)、あるいはヌーマミージー(馬の番をする岩)、帯大岩の名で親しまれている。 1771(明和8)年、明和の大津波の時に打ち上げられたと言われ、津波の高さは、およそ40mで、マグニチ[...] 続きを読む ⇒