史跡

【市指定:史跡】漲水石畳道~はりみずいしだたみみち~

漲水石畳道

18世紀の始め、宮古の治山、土木工事が精力的にすすめられていたころ、各村むら(字)の道路巾は2間半に拡張、改修、あるいは新設されたと伝えられている。1696年大地震のあと土木工事の一環として、石畳道も2間半に拡張され、治山事業の中で豊富に得られたであろう石を切り敷きつめたものと推定される。石畳道は旧[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】海軍特攻艇格納秘匿壕~かいぐんとっこうていかくのうひとくごう~

海軍特攻艇格納秘匿壕

狩俣の南西海岸丘陵地に所在する。本壕と脇豪合わせて、総延長約300mの規模で、5ヶ所の出入口を有する海軍313設営部隊により築造された。1945(昭和20)年3月1日から終戦まで第41震洋特別攻撃八木部隊の特攻艇の格納秘匿壕として使用された。八木部隊の隊員は狩俣の基地で出撃を待ったが、連合軍の宮古上[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】保良元島遺跡~ぼらもとじまいせき~

保良元島遺跡

当遺跡は、東平安名崎の根本近く、標高50~60mの台地に形成された14~15世紀頃の集落遺跡である。1965年H・メリヒャール氏と金子エリカ女史によって、その一部が発掘調査され、宮古産の土器の他・宋・元・明時代初期の中国製陶磁器片が出土している。元史「温州府志―オンシュウフシ―」によれば「婆羅公管下[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】鏡原馬場跡~かがみはらばばあと~

鏡原馬場跡

鏡原小学校の東南約1km旧城辺(ぐすくべ)街道の北沿いに位置する。この馬場は物納税として宮古・八重山島民を苦しめた「人頭税」の廃止と深い因縁を持つところとして伝えられている。 1887(明治20)年ごろから、宮古農民の間に「島政改革・人頭税廃止」を要求する農民運動が展開された。人頭税撤廃運動は旧支配[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】大川~うぶかー~

大川

掘削年代は明らかでないが、「雍正旧記」(1727年)に「大川掘年数不相知歴代二成及大破候、康熈五拾六丁酉年修補牛馬之用水所」と記述されており、1717(康熈56)年に補修工事がなされていることから、18世紀初頭にはすでに大川が存在していたことがうかがわれる。 当時の人々の暮らしにとって、牛馬は重要な[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】野城泉~ぬぐすくがー~

野城泉

福北集落の東北の海岸に沿って東西に延びる琉球石灰岩丘陵(標高約65m)に野城遺跡がある。その南西部にある野城泉は、石灰岩台地(標高50~67m)裾野に湧水口の周辺を切り石積み技法によって築造された“降(うがー)り井”の形態をもつ自然湧水で、現在も水量は豊富である。 野城泉は、野城遺跡に関わりがあると[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】盛加がー~むいかがー~

盛加がー

水道の発達しないころ、人びとの生活用水は天水と各所に散在するうりがー(洞井)であった。集落はうりがーを中心に形成、発達してきており、宮古の歴史はうりがーを切りはなして考えることはできない。盛加がー内には小規模ながら貝塚層もあり、周辺一帯からは多くの青磁片・土器片等が表面採取でき、大きな集落跡を物語っ[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】漲水御嶽と石垣~はりみずうたきといしがき~

漲水御嶽と石垣

宮古島創世の神話ならびに人蛇婚説話等にいろどられ、古代宮古人の源流をさぐる上からも貴重な御嶽である。南側石垣は目黒盛の玄孫・仲宗根豊見親(忠導氏祖)が1500年中山王府の先導で、八重山のオヤケ赤蜂征討にさいし、神霊の加護で勝利したら神域を整備、奉納しようと誓願、めでたくがい旋した戦勝記念に築いたと忠[...] 続きを読む ⇒

【市指定:建造物】瑞福隧道~ずいふくずいどう~

瑞福隧道

戦前、比嘉下の島(すたのすま)・池原底(いけばるずぅく)・福地原(ふくちばる)・加治道(かじどう)一帯は湿地帯で、大雨のたびに大きな水溜まりとなった。特に池原一帯は湖のように2、3ヶ月も水が溜まり、農作物に甚大な被害を与えた。地勢は海岸地帯が高く排水路による水はけは不可能視されていた。 当時の瑞慶覧[...] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】ヌドグビアブ

ヌドグビアブ

ヌドクビアブは、カナマラアブから南西方向に1.5km程の森の中にある。深さは22m程で、洞口は2カ所にある。大きな洞口は幅3m、長さ25mで北東側から階段で降りることができ、もう一つの洞口は、天然橋でくぎられ幅3m、長さ7mの大きな井戸状の縦穴になっている。 階段から洞底に降りると、広間になっていて[...] 続きを読む ⇒