おすすめコース
【市指定:史跡】ピンザアブ遺跡~ぴんざあぶいせき~
ピンザアブは横浜国立大学の長谷川善和教授らによって、1980(昭和55)年発掘調査された。人骨やネズミ類・シカ類・ヘビ類・大型のヤマネコのものと思われる化石等が発見されている。国立科学博物館の佐倉朔教授の鑑定によると人骨はおよそ2万年前の旧石器人の人骨であることがわかり、ヤマネコのものと思われる化石[…] 続きを読む ⇒
【市指定:天然記念物・植物】大嶽公園の植物群落~うぶたきこうえんのしょくぶつぐんらく~
大嶽城跡公園と野原岳(108.6m)東斜面に広がる植物群落である。 植物相の高木層にはヤブニッケイ・モクタチバナ・ハマイヌビワ・ショウベンノキ・クロツグなどが生育し、低木層にはアカテツ・シマヤマヒハツなどが見られる。アカテツなどの林床にはヤブラン・ヤブニッケイの幼木などが見られる。野原岳の東斜面は石[…] 続きを読む ⇒
【市指定:無形民俗】野原のマストリャー~のはらのますとりゃー~
旧暦8月15日に、上野地区野原で行われる豊年祭である。午前中、大嶽御嶽内の拝所で婦人たちが祈願し、夕方には、4か所のマスムトゥ子・寅・午・申(貢租を集めた場所)で、酒・肴を囲んで男たちが直会をする。公民館の広場では、青年男子による棒術4組と、婦人の踊りが演じられる。婦人の踊りは数列縦隊になり、前列は[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】四島の主の墓~ゆすまのしゅうのはか~
現在、狩俣には「四島の主の墓」といわれている墓が四ヶ所ある。この墓は、そのうちの1つである。この墓は、島尻・大神・狩俣・池間の四邑が遠望できる丘陵上にある。この墓の構造はツガ墓に似ており、周囲には石積みの外郭が二重にめぐらされ、南々西に向かって一枚岩をのせたアーチ門が築かれている。又、墓室は一室で墓[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】住屋遺跡―俗称:尻間~すみやいせき―ぞくしょう:しいま~
住屋遺跡は、概ね14~17世紀初期頃の集落跡である。1982(昭和57)年2回にわたる発掘調査の結果、14世紀頃と推定される竪穴住居址1基と16~17世紀初期と推定される平地住居址・石敷住居址・円形状建物跡・竪穴炉址・溜井戸等の遺構を検出。 遺物では、土器片・石器(石錘・たたき石)・貝製品(貝錘・貝[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】仲屋金盛ミャーカ~なかやかなもりみゃーか~
「仲屋金盛ミャーカ」は、忠導氏仲宗根家の東方、外間御嶽の北方にあって、忠導氏一門では、仲屋金盛の墓と言い伝えている。墓の規模や形態は、大半が土砂に埋もれて明らかでないが、石棺の蓋と思われる縦210cm、横120cm、厚さ22cmの巨石が露出している。仲屋金盛は、16世紀初頭に宮古島の主長であった仲宗[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】金志川泉~きんすうきゃーがー~
金志川泉は、金志川豊見親の屋敷跡より150mほど西側にある洞泉である。水壺は広くほぼ円形で水深は1mほどである。開口部から水壺までおよそ30段の階段が設けられている。「雍正旧記」(1727年)には「金志川・但洞川・堀年数不相知」とある。また、「宮古・八重山両島絵図帳」(1647年)には、おろか間切([…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】マムヤの屋敷後・機織り場・墓~まむやのやしきあと・はたおりば・はか~
マムヤの屋敷跡は、保良元島の南方約200mほどの小丘陵にある。現在は周りの土が除去され、うず高い状態になっている。機織場は、東平安名崎の保良漁港入口より西方120mの北側岸壁にあり、畳2枚程の広さの空洞になっている。墓地は、同漁港入口より東へ約180mはなれた休憩所の隣にある巨石をくりぬいたようにし[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】観音堂経塚~かんのんどうきょうづか~
観音堂は1699(康熙38)年の創建で、定納船上下の安全祈願所として崇敬をあつめたと伝えられる。前庭にある経塚は、宮古における仏教伝来の事跡をかたちあるものをもって示す数少ない遺跡の一つである。碑文は、オモテ「経呪嶺( きょうじゅれい )」・ウラ「雍正丙辰冬白川氏恵道建焉 ( ようせいひのえたつふゆ[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】祥雲寺の石垣~しょううんじのいしがき~
祥雲寺は薩摩藩の建議で1611(万歴39)年山月和尚によって開山された。当時の寺域はどの程度であったかさだかではないが、1685(康熙24)年になって住職の輪番制(3年交替)を設けているところから、寺域もしだいに整備されてきたものと推定される。 「球陽」は1696(康熙35)年の大地震の際、寺院等の[…] 続きを読む ⇒