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【市指定:無形民俗】宮国の大綱引き~みやぐにのおおつなひき~

宮国の大綱引き

宮国部落の旧盆の行事の一つで、キャーン(和名シイノキカズラ)という植物を材料に綱をつくり、宮国公民館前の大通りで行われる。「西里(いすざと)」と「東里(あがす°ざと)」に分かれて綱を引き、その後、若者達はデーロイと呼ばれる押し合いを公民館前の四つ角で行う。その後、老若男女が円陣を組み、宮国のクイチャ[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】住屋遺跡―俗称:尻間~すみやいせき―ぞくしょう:しいま~

住屋遺跡(俗称:尻間)01

住屋遺跡は、概ね14~17世紀初期頃の集落跡である。1982(昭和57)年2回にわたる発掘調査の結果、14世紀頃と推定される竪穴住居址1基と16~17世紀初期と推定される平地住居址・石敷住居址・円形状建物跡・竪穴炉址・溜井戸等の遺構を検出。 遺物では、土器片・石器(石錘・たたき石)・貝製品(貝錘・貝[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】観音堂経塚~かんのんどうきょうづか~

観音堂経塚

観音堂は1699(康熙38)年の創建で、定納船上下の安全祈願所として崇敬をあつめたと伝えられる。前庭にある経塚は、宮古における仏教伝来の事跡をかたちあるものをもって示す数少ない遺跡の一つである。碑文は、オモテ「経呪嶺( きょうじゅれい )」・ウラ「雍正丙辰冬白川氏恵道建焉 ( ようせいひのえたつふゆ[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】祥雲寺の石垣~しょううんじのいしがき~

祥雲寺の石垣

祥雲寺は薩摩藩の建議で1611(万歴39)年山月和尚によって開山された。当時の寺域はどの程度であったかさだかではないが、1685(康熙24)年になって住職の輪番制(3年交替)を設けているところから、寺域もしだいに整備されてきたものと推定される。 「球陽」は1696(康熙35)年の大地震の際、寺院等の[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】漲水石畳道~はりみずいしだたみみち~

漲水石畳道

18世紀の始め、宮古の治山、土木工事が精力的にすすめられていたころ、各村むら(字)の道路巾は2間半に拡張、改修、あるいは新設されたと伝えられている。1696年大地震のあと土木工事の一環として、石畳道も2間半に拡張され、治山事業の中で豊富に得られたであろう石を切り敷きつめたものと推定される。石畳道は旧[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】漲水御嶽と石垣~はりみずうたきといしがき~

漲水御嶽と石垣

宮古島創世の神話ならびに人蛇婚説話等にいろどられ、古代宮古人の源流をさぐる上からも貴重な御嶽である。南側石垣は目黒盛の玄孫・仲宗根豊見親(忠導氏祖)が1500年中山王府の先導で、八重山のオヤケ赤蜂征討にさいし、神霊の加護で勝利したら神域を整備、奉納しようと誓願、めでたくがい旋した戦勝記念に築いたと忠[…] 続きを読む ⇒

【市指定:典籍】産業界之恩人記念碑~さんぎょうかいのおんじんきねんひ~

産業界之恩人記念碑

1925(大正14)年7月に宮古神社が建立された際、宮古の産業界の基礎をつくった下地親雲上恵根、砂川親雲上旨屋、稲石刀自の三者を顕彰して、同境内に建立したものである。碑の形状は縦264cm、横63cm、幅27cmの直方体でコンクリート造りである。 碑文は当時、沖縄史研究者として知られた真境名安興がま[…] 続きを読む ⇒

【市指定:建造物】平良第一小学校の正門と石垣~ひららだいいちしょうがっこうのせいもんといしがき~

平良第一小学校の正門と石垣

平良第一小学校の石垣は、1932(昭和7)年頃に築かれた石垣と考えられており、建築後73年は経過している。現在、学校の敷地を囲っていた石垣のうち南側は校地拡張の為に無くなっているが、当時の正門を含む3辺の石垣は保存状態も良く残っており間知積みや布積み等、当時の石造建築技術の水準の高さを知ることが出来[…] 続きを読む ⇒

【県指定:史跡】ドイツ皇帝博愛記念碑~どいつこうていはくあいきねんひ~

ドイツ皇帝博愛記念碑

漲水港の近くの市街地に建つ記念碑は、ドイツ皇帝ウイルヘルムⅠ世の命によって1876(明治9)年3月20日に建立、22日除幕式が挙行された。1873(明治6)年7月、宮古島の南海岸・宮国沖合に座礁したドイツ商船ロベルトソン号の乗組員を宮古の人々が助けた。助けられた8人の乗組員たちは、1ヶ月余り看護され[…] 続きを読む ⇒