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【市指定:史跡】ミヌズマ遺跡の井戸~みぬずまいせきのいど~

ミヌズマ遺跡の井戸

この井戸は、久松地区公民館の東南およそ1.5kmの地点にある。この一帯は広範囲にわたってミヌズマといわれる集落遺跡となっており、宮古式土器や中国製陶磁器等の破片が表採される。また、井戸の近隣には東ブーンミャー・西ブーンミャー跡と言い伝えられている一角もある。 井戸の構造は、円形状掘抜井戸(直径1m、[…] 続きを読む ⇒

【市指定:史跡】保良元島遺跡~ぼらもとじまいせき~

保良元島遺跡

当遺跡は、東平安名崎の根本近く、標高50~60mの台地に形成された14~15世紀頃の集落遺跡である。1965年H・メリヒャール氏と金子エリカ女史によって、その一部が発掘調査され、宮古産の土器の他・宋・元・明時代初期の中国製陶磁器片が出土している。元史「温州府志―オンシュウフシ―」によれば「婆羅公管下[…] 続きを読む ⇒

【市指定:天然記念物・地質】大竹中洞穴~うぶたけなかどうけつ~

大竹中洞穴

佐和田線と基幹農道との交差点の東北側500m程の所、土地改良区内にある。1977(昭和52)年12月18日、琉球大学の野原朝秀教授等によってミヤコノロジカの化石片が発見され、1999年3月には、人の歯の化石も見つかっている。大竹中洞穴は杓文字(しゃもじ)型をした広い陥没ドリーネの崖面にあり、この横穴[…] 続きを読む ⇒

【国指定:史跡】先島諸島火番盛「遠見番所」来間遠見~さきしましょとうひばんむい「とうみばんしょ」くりまとうみ~

来間遠見

宮古島市5ヵ所(池間・狩俣・島尻・来間・砂川)江戸時代、鎖国体制下の1644(順治元)年に、薩摩藩支配の琉球王府によって設置された、海上交通の監視・通報(烽火(のろし)のろし)機能をになった遠見番所跡群。先島諸島は琉球列島の最西端に位置し、東シナ海の緊張に直面しており、対外関係と鎖国体制の完成を示す[…] 続きを読む ⇒

【国指定:史跡】先島諸島火番盛「遠見番所」砂川遠見~さきしましょとうひばんむい「とうみばんしょ」うるかとうみ~

砂川遠見

宮古島市5ヵ所(池間・狩俣・島尻・来間・砂川)江戸時代、鎖国体制下の1644(順治元)年に、薩摩藩支配の琉球王府によって設置された、海上交通の監視・通報(烽火:のろし)機能をになった遠見番所跡群。先島諸島は琉球列島の最西端に位置し、東シナ海の緊張に直面しており、対外関係と鎖国体制の完成を示す遺跡とし[…] 続きを読む ⇒

【国指定:史跡】先島諸島火番盛「遠見番所」島尻遠見~さきしましょとうひばんむい「とうみばんしょ」しまじりとうみ~

島尻遠見

宮古島市5ヵ所(池間・狩俣・島尻・来間・砂川)江戸時代、鎖国体制下の1644(順治元)年に、薩摩藩支配の琉球王府によって設置された、海上交通の監視・通報(烽火(のろし)のろし)機能をになった遠見番所跡群。先島諸島は琉球列島の最西端に位置し、東シナ海の緊張に直面しており、対外関係と鎖国体制の完成を示す[…] 続きを読む ⇒

【国指定:史跡】先島諸島火番盛「遠見番所」狩俣遠見~さきしましょとうひばんむい「とうみばんしょ」かりまたとうみ~

狩俣遠見

宮古島市5ヵ所( 池間・狩俣・島尻・来間・砂川) 江戸時代、鎖国体制下の1644(順治元)年に、薩摩藩支配の琉球王府によって設置された、海上交通の監視・通報(烽火:のろし)機能をになった遠見番所跡群。先島諸島は琉球列島の最西端に位置し、東シナ海の緊張に直面しており、対外関係と鎖国体制の完成を示す遺跡[…] 続きを読む ⇒

【国指定:史跡】先島諸島火番盛「遠見番所」池間遠見~さきしましょとうひばんむい「とうみばんしょ」いけまとうみ~ 

池間遠見

宮古島市5ヵ所(池間・狩俣・島尻・来間・砂川)江戸時代、鎖国体制下の1644(順治元)年に、薩摩藩支配の琉球王府によって設置された、海上交通の監視・通報(烽火:のろし)機能をになった遠見番所跡群。先島諸島は琉球列島の最西端に位置し、東シナ海の緊張に直面しており、対外関係と鎖国体制の完成を示す遺跡とし[…] 続きを読む ⇒