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【市指定:天然記念物・自然】島尻のマングローブ林~しまじりのまんぐろーぶりん~

島尻のマングローブ林

マングローブ林は熱帯、亜熱帯地方の海岸や河口の汽水域(海水と淡水が混ざり合う水域)の泥土に生育する常緑低木・高木の一群である。日本では南西諸島に数種が分布し、鹿児島県喜入が北限とされている。 沖縄県内では、4科6種が分布し、八重山6種・宮古5種・沖縄本島4種の分布が確認されている。島尻のマングローブ[…] 続きを読む ⇒

【県指定:選択無形民俗】池間島のミャークヅツ~いけまじまのみゃーくづつ~

池間島のミャークヅツ

毎年旧暦8月~9月の甲午の日から3日間にわたって、4ヵ所のムトゥ【真謝(まじゃ)・上げ桝(あぎます)・前ぬ屋(まいぬやー)・前里】を中心に行われる池間島最大の祭祀である。 各ムトウの祭儀は、数え年55歳以上の男性で構成されるムトゥヌウヤ達を中心とした年齢階梯的組織で運営されている。 1981(昭和5[…] 続きを読む ⇒

【市指定:有形民俗】イスゥガー(磯井)

イスゥガー(磯井)

狩俣集落の発祥にかかる井泉で、狩俣のウャーン(祖神祭)の祭祀の神歌タービの中で、概略「創世神豊見赤星テダナフラ真主は最初にタバリ地に降り、良泉を求め北へ進み、カナギ井・クルギ井・ヤマダ井を経て最後にイスゥガーを見つけ、そこの泉水は水量は少ないけれども旨いので、この水ならば神に供えて祈るシトギ水になる[…] 続きを読む ⇒

【市指定:天然記念物・植物】前井と御神木その周辺の植物群落~まえがーとごしんぼくそのしゅうへんのしょくぶつぐんらく~

前井と御神木その周辺の植物群落

前井(まいがー)は、下里添の北部丘陵沿にあり、古くから下里添西部(ザラツキ・ウッザンミ)と長間南部の住民が飲料水として利用していた洞窟泉であった。洞窟泉では汲み取りに大変苦労する上に不衛生なため、1919(大正8)年9月、現在の竪穴式の井戸に改築する。当時は南側に前井、北側にウツバラ井と2ヵ所あった[…] 続きを読む ⇒

【市指定:無形民俗】上区の獅子舞い~かみくのししまい~

上区の獅子舞い

サズガー・ウッザンミ・ザラツキ・ユナバリ・パナキシャの5集落は、1892(明治25)年、下里添村として下里村から行政分離されたという。その際、村分けの祝いとして下里の主は、下里村の守護神である2頭の獅子を下里添村に贈ったという。その後、下里添村では、毎年旧暦8月15日に豊年祭を催し、獅子舞いをブンミ[…] 続きを読む ⇒

【市指定:無形民俗】比嘉の獅子舞い~ひがのししまい~

比嘉の獅子舞い

比嘉の獅子舞いは1913(大正2)年に始まったと伝えられる。士族と平民が字有地の財産を巡って争い訴訟事件にまで発展、比嘉集落の将来を憂慮した双方は、1912(明治45)年和解した。その和解記念の祝賀行事に獅子舞・競馬・角力などを催したという。 この行事は「パツカショウガツ」(旧暦1月20日)と呼ばれ[…] 続きを読む ⇒

【市指定:歴史資料】忠導氏仲宗根家関係資料~ちゅうどううじなかそねけかんけいしりょう~

忠導氏仲宗根家関係資料

仲宗根豊見親を祖とする忠導氏は、旧藩時代には白川氏とともに宮古を二分するほどに勢力をふるった旧家である。仲宗根豊見親は与那覇原との戦いに勝って宮古を統一した目黒盛豊見親の玄孫で、白川氏三代目大立大殿にかわって、宮古主長になった人物だと伝えられている。 「球陽」によれば、1500年、仲宗根豊見親は八重[…] 続きを読む ⇒

【市指定:典籍】産業界之恩人記念碑~さんぎょうかいのおんじんきねんひ~

産業界之恩人記念碑

1925(大正14)年7月に宮古神社が建立された際、宮古の産業界の基礎をつくった下地親雲上恵根、砂川親雲上旨屋、稲石刀自の三者を顕彰して、同境内に建立したものである。碑の形状は縦264cm、横63cm、幅27cmの直方体でコンクリート造りである。 碑文は当時、沖縄史研究者として知られた真境名安興がま[…] 続きを読む ⇒

【市指定:典籍】恩河里之子親雲上の墓碑~おんがわさとぬしぺーちんのぼひ~

恩河里之子親雲上の墓碑

旧藩末期に建造されたもので、現存する墓碑では比較的古いものである。砂岩(高さ62cm、横33cm、幅上部5~14cm、下方17cm)を材料として使用している。 碑には右肩より「支流長真氏恩河仁也、乾隆年間卒。向姓恩河里之子親雲上墓・同治十一年壬申在番同氏花城親雲上記」の文字が刻み込まれており、下方に[…] 続きを読む ⇒

【市指定:有形民俗】ぐすくべのアギイス(力石)

ぐすくべのアギイス(力石)

戦前は各集落で青年による力試しが盛んに行われていた。角力もその一つであるが、今日でいう重量上げに相当するのが「アギイス(力石)」である。各集落の青年会場(現公民館)には大小二個のアギイスが備えられていた。娯楽の少ない昔は、農作業を終えた青年らが三三五五集まり、アギイスで力試しを行っていた。大きな石は[…] 続きを読む ⇒