文化財紹介
【市指定:史跡、天然記念物】佐事川嶺凝灰岩層及び佐事川の陣地壕
佐事川嶺に分布する地層は、沖縄県南部の基盤岩である島尻層群に相当するものです。指定地においては、島尻層群内に二枚の凝灰岩層が確認できます。さらに凝灰岩層は上部に向かう凝灰質砂岩、そして泥岩と堆積変化を示すなど、地層形成時の古環境を容易に推測させることができます。 凝灰岩層の存在は、宮古島の形成に海[…] 続きを読む ⇒
【遺跡】ミヌズマ遺跡~みぬずまいせき~
ミヌズマ遺跡は与那覇湾に面した標高5~15mの小丘陵地に形成された遺跡です。周辺のほ場整備に伴い2012年~2013年度にかけて、約36,000㎡の範囲で発掘調査を実施しています。発掘調査では11・12世紀の4本・6本柱から構成される掘立柱建物跡や、埋葬された人骨も1体確認されています。また13世紀[…] 続きを読む ⇒
【名所】ピキャズ~ぴきゃず~
ピキャズは、下地島に所在する国指定名勝・天然記念物「下地島の通り池」を小規模にしたような陥没ドリーネで、岩礁にきれいな円形の穴が開き、アーチ状の横穴で海と繋がっています。市内の「降り井(ウリガー)」で失くした木桶がピキャズで見つかったとの伝承も残されており、「(地下で水脈が)繋がっている=ピキャズ」[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】大立大殿みゃーか~うぷだてぃうぷどぅぬみゃーか~
「大立大殿みゃーか」は、15世紀後半に宮古島の首長を務めた大立大殿の墓とされており、四方を長方形に切り出した石灰岩で囲み、その上に蓋石を乗せる「ミャーカ」と呼ばれる宮古島特有の墓形態をなしている。 祀られている大立大殿は1390年に宮古島で初めて中山朝貢をした与那覇勢頭豊見親の孫にあたり、15世紀~[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】旧西中共同製糖場跡~きゅうにしなかきょうどうせいとうじょうあと~
旧西中共同製糖場跡には、宮古島の基幹産業である製糖業を象徴し、沖縄県内でも希少な昭和前期の製糖工場の遺構との評価を受けて、平成25年6月に国登録有形文化財に登録された「旧西中共同製糖場煙突」が所在している。本来2本あったとされる煙突の内の1本と、隣接するボイラー冷却用の貯水槽を残すのみであるが、土地[…] 続きを読む ⇒
【市指定:天然記念物(植物)】ミヤコジマソウ~みやこじまそう~
ミヤコジマソウは、キツネイマゴ科の多年草である。概して海岸崖下の砂地や石灰岩の上に生え、茎は倒伏して節部から根をおろし長さ10㎝内外となる。葉は対生し、径1~2㎝の円形に近い卵状広楕円形で、両面に軟毛がある。頂生する穂状花序は2~3花をつけ、苞を伴う。花は白色で径1㎝位、雄蕊を4個有する。果実は長さ[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】「乾隆三十六年大波」碑~けんりゅうさんじゅうろくねんおおなみひ~
与那覇前浜後方の丘陵地(俗称:前山)の中に高さ64cm、幅29cm、厚さ14cm、サンゴ石灰岩を加工した石碑が台座に据えられている。表の碑文の右側は、「乾隆三十六年三月十日大波」、中央は「宮国新里砂川友利」と判読できる。この石碑は、乾隆36年3月10日(新暦1771年4月20日)に発生した石垣島南東[…] 続きを読む ⇒
【国指定:天然記念物(地質)】宮古島保良の石灰華段丘~みやこじまぼらのせっかいかだんきゅう~
宮古島保良の石灰華段丘は、宮古島の南海岸に位置し、東平安名崎の北西、通称・宮土(みゃーどぅ)の海抜30mの海成段丘の段丘崖下に所在しており、海抜約5m付近から低潮位までの緩斜面上に、汀線にそって長さ約70m、幅最 大約30mにわたり発達している。リムストーンプールは長径約10m~数㎝位まである。その[…] 続きを読む ⇒
【国登録:有形文化財】旧仲宗根氏庭園~きゅうなかそねしていえん~
忠(ちゅう)導(どう)氏(うじ)仲宗根家(なかそねけ)は15世紀末から16世紀初めにかけて宮古島の首長となった仲宗根豊見親玄雅(なかそねとぅいみゃげんが)を祖とする一門で、名乗頭に「玄」を名乗り、多くの宮古の頭職を輩出した由緒ある名家である。 庭園の作庭年代については家主の聞き取りから昭和4年に住宅[…] 続きを読む ⇒
【国指定:名勝・天然記念物】八重干瀬~やびじ~
八重干瀬という名称の由来には諸説あり、8つの干瀬からなるからとも、干瀬が幾重にも重なっているからとも言われている。八重干瀬は、池間島や島尻では「やびじ」、狩俣では「やぴし」等と様々な呼称があり、1999(平成11)年の「八重干瀬」の2万5千分1地形図発行にあたり、国土地理院から呼称の統一を求められた[…] 続きを読む ⇒