文化財紹介
【市指定:有形民俗】赤崎御嶽~あかざきうたき~
赤崎御嶽の祭神は、大世の主豊見親と唱える。農耕万穀、五穀豊穣を掌る神で子方母天大が生んだ12神の一体といわれている。例祭は毎年3回甲きのえ午うまの日に行われる。赤名宮と共に下地地域の根所として、昔から島の信仰が深い。海に突き出た赤崎には、神井(ぬか井)があり、例祭は下地中学校西側隣の神畑(ぬか地)の[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】大嶽城跡~うぷたきじょうせき~
14世紀の中頃、宮古島に猛威をふるった与那覇原にほろぼされた大嶽按司の居城の跡である。城跡公園内の東側にある御嶽が、大御嶽(ウプウタキ)で、祭神はピギタリユーヌヌスである。ピギタリは、按司の長男で戦乱の世相を嘆いて農業に励んだ。与那覇原との戦いで二男知呂の按司は、東の門(中御嶽)を守って戦死し、三男[…] 続きを読む ⇒
【市指定:古文書】河充家の系図~かわみつけのけいず~
河充氏とは、川満大殿を元祖とし名乗り頭に「真」の字をもつ家系である。保管しているのは大殿の子孫、洲鎌部落の松村家である。 系図には初代より12代までの人物の生年月日、役職名、死亡年月日等が記入されており、字体も楷書、草書、正書と種々である。筆跡も異なる部分が見受けられるのは、何代目かが書き残した物を[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】御船の親御嶽~ううにのしゅううたき~
「宮古島記事仕次」に、「野崎満さりゃ南の島より迯れ帰りし事」と題する記事がある。御船の親は船頭として琉球へ上り、帰途逆風にあって南の島あふらという所に漂着した。御船の親は殺されたが水主野崎満さりゃは島の女に取合って夫婦の契りを結び、島の風俗を女から教えられた。満さりゃは女の協力によって島を脱出し、野[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】ピンザアブ遺跡~ぴんざあぶいせき~
ピンザアブは横浜国立大学の長谷川善和教授らによって、1980(昭和55)年発掘調査された。人骨やネズミ類・シカ類・ヘビ類・大型のヤマネコのものと思われる化石等が発見されている。国立科学博物館の佐倉朔教授の鑑定によると人骨はおよそ2万年前の旧石器人の人骨であることがわかり、ヤマネコのものと思われる化石[…] 続きを読む ⇒
【市指定:天然記念物・植物】好善ミガガマ御嶽の植物群落~こうじんみががまうたきのしょくぶつぐんらく~
好善ミガガマ御嶽を擁する植物群落で、御嶽林であるため長い間開発などから保護され、宮古島南岸地域の自然植物を見ることができる。 植物群落のほぼ中央部に拝所があり、拝所の周囲には胸高直径60~80cmのタイワンエノキ4本、40cmのクロヨナ2本が生育し、うっそうとしている。この自然植生を取り囲むようにヤ[…] 続きを読む ⇒
【市指定:天然記念物・植物】大嶽公園の植物群落~うぶたきこうえんのしょくぶつぐんらく~
大嶽城跡公園と野原岳(108.6m)東斜面に広がる植物群落である。 植物相の高木層にはヤブニッケイ・モクタチバナ・ハマイヌビワ・ショウベンノキ・クロツグなどが生育し、低木層にはアカテツ・シマヤマヒハツなどが見られる。アカテツなどの林床にはヤブラン・ヤブニッケイの幼木などが見られる。野原岳の東斜面は石[…] 続きを読む ⇒
【市指定:天然記念物・動物】ツマグロゼミ
ツマグロゼミは、中国・台湾・八重山諸島・宮古(城辺字砂川・字友利の一部と上野地区の一部)に分布し、宮古島を北限とする。屋敷木のイスノキに生息は限られているが、自然林に近い状態の上比屋山のアカギ・リュウキュウガキ・クロヨナ等に自然分布している。ツマグロゼミは、前翅先端に小さな暗色紋があることからその名[…] 続きを読む ⇒
【市指定:無形民俗】新里の豊年祭~しんざとのほうねんさい~
新里の豊年祭は旧暦の6月のつちの日に行われる行事で、獅子舞・棒振り・女踊り(抱き踊りと投ぎ踊り)および綱引きなどで構成されている。豊年祭の起源については不明であるが、1771年の「明和の大津波」によって壊滅的な打撃を受けた部落が、海岸近くにあった元島から現在の位置に部落を建て、また伊良部島などから移[…] 続きを読む ⇒
【市指定:無形民俗】宮国の大綱引き~みやぐにのおおつなひき~
宮国部落の旧盆の行事の一つで、キャーン(和名シイノキカズラ)という植物を材料に綱をつくり、宮国公民館前の大通りで行われる。「西里(いすざと)」と「東里(あがす°ざと)」に分かれて綱を引き、その後、若者達はデーロイと呼ばれる押し合いを公民館前の四つ角で行う。その後、老若男女が円陣を組み、宮国のクイチャ[…] 続きを読む ⇒