史跡
【市指定:史跡】盛加がー~むいかがー~
水道の発達しないころ、人びとの生活用水は天水と各所に散在するうりがー(洞井)であった。集落はうりがーを中心に形成、発達してきており、宮古の歴史はうりがーを切りはなして考えることはできない。盛加がー内には小規模ながら貝塚層もあり、周辺一帯からは多くの青磁片・土器片等が表面採取でき、大きな集落跡を物語っ[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】漲水御嶽と石垣~はりみずうたきといしがき~
宮古島創世の神話ならびに人蛇婚説話等にいろどられ、古代宮古人の源流をさぐる上からも貴重な御嶽である。南側石垣は目黒盛の玄孫・仲宗根豊見親(忠導氏祖)が1500年中山王府の先導で、八重山のオヤケ赤蜂征討にさいし、神霊の加護で勝利したら神域を整備、奉納しようと誓願、めでたくがい旋した戦勝記念に築いたと忠[…] 続きを読む ⇒
【市指定:建造物】瑞福隧道~ずいふくずいどう~
戦前、比嘉下の島(すたのすま)・池原底(いけばるずぅく)・福地原(ふくちばる)・加治道(かじどう)一帯は湿地帯で、大雨のたびに大きな水溜まりとなった。特に池原一帯は湖のように2、3ヶ月も水が溜まり、農作物に甚大な被害を与えた。地勢は海岸地帯が高く排水路による水はけは不可能視されていた。 当時の瑞慶覧[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】ヌドグビアブ
ヌドクビアブは、カナマラアブから南西方向に1.5km程の森の中にある。深さは22m程で、洞口は2カ所にある。大きな洞口は幅3m、長さ25mで北東側から階段で降りることができ、もう一つの洞口は、天然橋でくぎられ幅3m、長さ7mの大きな井戸状の縦穴になっている。 階段から洞底に降りると、広間になっていて[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】タウワインミィアブ
タウワインミィアブは、ピャーズ御嶽(クンマウキャー御嶽)から旧町道105号線(一周道路)へ向かう道路と展望台への三叉路から50m程南、道路脇30m程の所にある。 深さは65mで、底には池が存在し、魚が確認された。 この魚は、目が退化し白色で、数十万年から百数十万年前に閉じ込められたものと推定され、国[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】ウスバリアブ
ウスバリアブは、伊良部島南側の長山の農道78号線の中頃から北に300m程のカナマラアブの斜め向かい(北東側)にある。深さは35m程で、洞口は幅2m、長さ4m程で直下14m程の所に第1着地点があり、大きさは南北に25m、幅10~15mの洞穴になっている。第1着地点から北方向に12mの横穴が発達しており[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】カナマラアブ
カナマラアブは、伊良部島南側の長山の農道78号線の中頃から北に300m程の所にあり、深さは、54.5mの縦穴で、ほぼ海面と同じ深さになっている。洞口は、幅0.8m、長さ1.8m、直下で35mの所に第1着地点がある。途中20mの所には横穴も発達し、コウモリのすみかになっている。横穴の底は粘土で、西の方[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】ヤマトブー大岩~やまとぶーおおいわ~
伊良部島の東側、牧山展望台の下にあるトラパーチンの巨岩をヤマトゥブーギスといい、高さ25m、直径18m、重量3万トン余り、最初に伊良部に人が住み着いた下牧(積上・ツミャギ)の海岸への出入り口の目印であったと思われる。岩は、友利石炭岩が、断層などの地殻変動で地上に露呈したもので、傍の牧山には、昔採石を[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】下地島巨岩~しもじしまきょがん~
径59.9m、高さ12.5mの巨石が下地島の西海岸に座しており、重量は、推定で約2万トン、オコスクビジー(大きな帯をした岩)、あるいはヌーマミージー(馬の番をする岩)、帯大岩の名で親しまれている。 1771(明和8)年、明和の大津波の時に打ち上げられたと言われ、津波の高さは、およそ40mで、マグニチ[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】ダキフガー
ダキフガーは、字伊良部島のヤスルギーの傍にあり、井戸周りの面積は39m2、台形をひしゃげたような形で、辺は6.2m、3.3m、5m、3.3mになっている。昔、この一帯にダキフ(タン竹)の群生があり、ダキフの中の井戸なので「ダキフガー」と名付けられたと推測できる。 井戸は、円形状・堀り抜き・壁面石積み[…] 続きを読む ⇒