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【県指定:史跡】野原岳の霊石~のばるだけのたまいし~
野原岳の南側中腹にあるが、元もとは頂上近くの北西側斜面におかれていた。霊石は、琉球石灰岩でつくられており、直経が110cm、高さが135cmの円柱形である。およそ600年ほど前、野原岳一帯を支配していた大嶽按司が、守護神としてこの霊石をつくり、野原岳の頂上付近にたてたと伝承されている。 地元では、こ[…] 続きを読む ⇒
【県指定:史跡】高腰城跡~たかうすじょうせき~
宮古島の東海岸側、比嘉集落北の丘陵(高さ113m)の頂上部分につくられた城跡である。東西約70m、南北約40mの大きさで、自然の石をそのまま積んだ城壁の礎石が残っている。 「雍正旧記」(1727年)や「宮古嶋記事仕次(みやこしまきじしつぎ)」(1748年)等の宮古旧記類には、この城の城主が高腰按司([…] 続きを読む ⇒
【県指定:史跡】仲宗根豊見親の墓~なかそねとぅゆみゃのはか~
15世紀末から16世紀初にかけて、宮古の支配者として君臨した仲宗根豊見親が、父・真誉の子(まゆのふぁ)豊見親の霊をとむらうために、築造したと伝えられている。宮古在来の“みゃーか”と沖縄本島風の横穴式の折衷様式で、沖縄本島と宮古のしげき文化の交流を裏づける代表的な墳墓である。 ≫Gooleマップで見る[…] 続きを読む ⇒
【県指定:史跡】ドイツ皇帝博愛記念碑~どいつこうていはくあいきねんひ~
漲水港の近くの市街地に建つ記念碑は、ドイツ皇帝ウイルヘルムⅠ世の命によって1876(明治9)年3月20日に建立、22日除幕式が挙行された。1873(明治6)年7月、宮古島の南海岸・宮国沖合に座礁したドイツ商船ロベルトソン号の乗組員を宮古の人々が助けた。助けられた8人の乗組員たちは、1ヶ月余り看護され[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】ダキフガー
ダキフガーは、字伊良部島のヤスルギーの傍にあり、井戸周りの面積は39m2、台形をひしゃげたような形で、辺は6.2m、3.3m、5m、3.3mになっている。昔、この一帯にダキフ(タン竹)の群生があり、ダキフの中の井戸なので「ダキフガー」と名付けられたと推測できる。 井戸は、円形状・堀り抜き・壁面石積み[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】神里ガー~かんざとがー~
神里井戸の神里とは、神様の集まる所の意味だと考えられている。この井戸は、神様が集まっていろいろの協議をする場所として信仰が厚い。 1430年頃この一帯はススキや茅の生い茂った窪地であった。時たまここにいた牛が前脚で土を掘っているのを不審に思い、掘ってみたところ洞泉があった。この事が井戸の起こりを言い[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】フナハガー
この井戸の背後にある自然植生の森には、伊良部ナカトズ御嶽がある。 昔、この一帯にはフナパ村そして、北方にウポザト村、東方にはウポドウ村があったといわれている。 この井戸(洞泉)が発見されたのは、1430年頃と推定され、この井戸は、前記三村の村建ての中心となった。その後、1735年には、外部からの移住[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】アラガー
アラガーは、字佐和田の西側にあり、佐和田では最も古い井戸で、縦8m、横6m程の敷地内に直径1.8m、深さ4~4.5m円形状に掘られている。昔、この辺一帯は広範囲にわたって雑木林が発達していた。鳩が雑木林にしきりに出入りしているので、この井戸を見つけたと言われ、「鳩の見つけ井戸」とも言われている。この[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】佐和田ユークイ~さわだゆーくい~
佐和田ユークイは、佐和田線から西に200m、佐和田の集落街から北へ200m程の所にあり、祭神は、大世之主(うふゆぬしゅう)と唱える。大世之主は1457年沖永良部島から伊良部島に渡ってきたと伝わる。元々の佐和田ユークイは白鳥崎にあったようであるが、現在地への移動は1644(順治元)年の烽火の制の後と考[…] 続きを読む ⇒
【市指定:史跡】乗瀬御嶽~ぬーしうたき~
伊良部島の南東端、渡口の浜への入口近くの左側にあり、遠見村の首長だった大金主(うぷがにしゅう)の娘「玉メガ」を祀っている。 乗瀬御嶽の祭祀に「カンウリ」というのがあり、これは、琉球の交易時代に伊良部も関わっていたことを立証する内容も含んでいる。また、「玉メガ」が神様にめとられたのが、父大金主が雨乞い[…] 続きを読む ⇒